2005年04月12日

いつも心に太陽を

さて、プロ野球パシフィック・リーグが開幕して早二週間あまり。
開幕以来きゃーきゃー騒ぐのはここ何年か変わらない風景なのですが、
それにしたって、この入れ込みようは自分でも「やばい」と思うくらいです。
なんでしょうなあ、これは。

思えば、大学にはいるまではワタクシ、巨人ファンだったんですわ。
物心ついたときにテレビの中で活躍してたのは、
松本や篠塚、河埜や原、中畑、スミスといった面々で、
監督は藤田でしたよ。
サダハル・オーが「助監督」という訳のわかんない位置についてて、
思えばもうこの辺からして巨人は「イカレテル」球団だったわけですが、
当時小学校低学年であったワタクシは、
ケイブンシャの大百科シリーズから出てた「プロ野球選手名鑑」を見て、
「監督が二人もいるなんてすごいなあ!」と、
のび太ばりのアタマの悪い素直さで思っておったわけです。

で、クロマティが加わり、駒田やら吉村も出てきて、
投手は江川に加えて槇原、加藤、角とかもいましたねえ。
一番好きな選手は、やっぱり原辰徳だったんですよ。
ホームランを打った後の、
一塁方向へ倒れ込みながらゆっくりと走り出すあの姿が好きでした。

中学、高校とまあふつうにテレビ中継を見て一喜一憂する生活を送り、
吉村の怪我に泣き、桑田の復活に泣き、原の干されっぷりに泣きと、
勝った喜びとかよりも、なんか悲しい記憶ばかりが残るのはなぜ?
と疑問に思いながら、大学進学とともに上京したわけです。
ちょうど長嶋が監督に「三顧の礼で」復帰して二年目。
落合がFAで移籍してきた年ですよ。1994年。
バブルも数年前にはじけまして、なんだかどんよりした時代でした。
グラッデン、川相、松井にコトー、まだ篠塚も現役でしたね。
ピッチャーは、90年代の三本柱が全盛期で、
ジョーンズなんて外国人もいた年です。
中日との激闘をシーズン最終戦で制し、
黄昏を迎えつつあった西武にも勝っちゃって、
結局は森監督を退任に追い込んだりもしましたねえ……。

しかし、このころにはもう、どっかで素直に喜べない部分もありました。
全スポーツマスコミによる、大政翼賛会的な長嶋礼賛というのは、
やはりどうもワタクシの世代には抵抗がありまして、
(長嶋茂雄は野球史上最高の選手だと思っておりますが)
おまけにオーナーとなったあのナベツネによって、
巨人に有利なようにどんどん制度改革が始まった頃でもありまして、
大人になった僕は、ようやくこの球団の悪どさに気づいたわけです。
まあ、半分以上は長嶋によって原が干され続けたのがむかついた、
ということもあるんですけどね。わはは。

そして、大学で出会ったある男によって、
ワタクシの野球(観戦)人生は大きくひん曲げられることになります。
そいつは、大学二年の頃いきなりワタクシにいいました。
「なあ、マリンスタジアムいかねえ?」
「へ?」
「ロッテ戦見に行くべ。暇だし。今日はオリックス戦だ」
ちょうど試験も終わりかけた頃でした。
そのころはイチローブームのまっただ中でしたが、
セ・リーグしか見てなかった自分にとっちゃ、
パ・リーグは全く未知の世界だったわけですわ。
知ってるといえば、ロッテ−近鉄のあの「10.19」くらい。

でも、イチローも生で見てみたいなあ……
っちゅうことで、マリンスタジアムにつきあうことになったのでした。
思えば、アレが千葉ロッテマリーンズとの最初の接近遭遇であり、
その男によってどんどん洗脳されていくことになるのですが……。

というところで、この続きはまた明日。……明日更新できるかな?

ちなみに、今日のタイトルは、
クレヨン社の曲から。
良い曲ですよ、CDは廃盤になってしまったけど。
posted by ツネヒサ at 04:39| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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