2009年05月18日

夢の国はもう守れない

歴史という奴は実に厄介で、特定の目的をもって用いようとする人間に、大変便利な道具として扱われる危険も孕んだ代物でございます。
たとえとして持ち出すには低レベルすぎますが、あまりの妄念妄執ぶりに防衛庁を追放された元司令官が、いまだに“思いこみだけで成り立っている、歪んだ劣等感が生み出した特異な世界観”をもとに講演を繰り返し、それに熱心にうなずいてる自称保守な馬鹿論客を見てると、その辺はよくわかっていただけるかと思います(まあ、あの手合いが「歴史」と称するものは、ほとんどが牽強付会の果てに生まれたただの都市伝説的な神話ですが)。
大抵どの国でも、「自尊心に欠けた」歴史記述に対してヒステリックな対応を示す人々は少なからずおりまして、彼ら個人のささやかな自尊心を満足させるまで延々と「改変」を要求するわけですな。
こういう点だけを見ても、大変にめんどくさい立場に置かれる事が多い学問であります。
そもそも、歴史学とは何か、ということを義務教育ではなにひとつ教えていないことが、「歴史」と「神話」の区別もつかない自称「歴史研究者」を生む土壌なんだろうなあと勝手に思っております。

とはいえ、人類の足跡を記録するという気の遠くなるような作業を誰かさんがはじめて以来、人類の歴史にはさまざまな人間たちが現れては消え現れては消え、名前を残していっております。だいたい歴史書に名前を残すような人間は、万国吃驚ショウなみの奇人変人の群れでありまして、我々のような名も無き庶民はその足元にごろごろと転がされているんでありますが、そんな庶民はやはり英雄にあこがれるわけであります。

たとえば酒井玄蕃。
たとえば王琳。
たとえば洗氏。
たとえば石田三成。
たとえば平塚為広。
たとえばマクシミリアン1世とマリー。
たとえば黒太子エドワード。
たとえば鄭和。
たとえばクビライ。

たとえば、こんなところが気になってしょうがない。
それぞれが特徴的な時代を代表する(と思っている)人物ばかりで、もうほんとに魅力的な人生を送っている。この人々の来し方、そしてその生涯の際までがすべて物語であり、我々と同じく、時代の中で自分の場所で戦って去っていった偉大な先人であります。ま、それはこの地球上に生まれて死んでいたおおかたの人間がそうなんですけどね(勿論そうでない連中も……いや、ある意味そうなのか)。
こういう人々が残していった言動から、妄想的に物語を考えるのがとても好き。僕はそういう人間でありまして、現代的な意味での歴史学にはむしろほとんど興味がないという(ひどいな)、まあそんな感じのスタンスであります。

長々と書きましたが、まあなにが云いたいかと云えば、ビジネス書で歴史を読むのはやめましょうね、ということで。ぜーんぜんなにがなんだかよくわかりませんね。ははは。

あ。記事のタイトルは内容と何も関係ございませんよ。
Nav Katze『Never Not』の歌詞からの引用です。
いやー、良い曲。
posted by ツネヒサ at 01:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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